自傷感情と親とランチした話
先日、母親と一緒にランチをして、横浜を観光した。
ランチは、ビュッフェ形式でいろんな種類の肉だの魚だのを食す。
観光は、横浜駅の近くから遊覧船(水上バス)に乗り、山下公園まで。
春休みということもあってか、家族連れが目立った。
その中で、31歳と60歳の母が連れ立って歩く。
母は、自分の病気についてはとやかく言わない。無理するな焦るなと言ってくれる。
そのことをありがたいと思う半面、自分が死にたい・消えたいという自傷感情を持っていることを見透かされているようでもある。
母親を始め、周囲が悲しむことを考えると、自殺は最善の手段ではないのは確かだろう。
ただ、それしか見えない瞬間があるのは確かだ。
問題は、その瞬間が恒常的に思えてしまうことだ。
死にたい、つらい、何もする気がおきない、このような感情は金属が摩滅していくように身を削ってくる。ビビットなものではないのだ。
母親はまだまだ健在であろう。そのあいだ、自分が健康でいられる、もっといえば、生きていける自信があまりない。
一般的に、自殺は、年齢が高くなればなるほど割合が増える。
歳をとればとるほど、人生は手放したくなる可能性が増えるということだろう。
いま、自分は自分の人生をできれば手放したいと思っている。
いや、本心ではそうではないのかもしれない。「自分の人生をよく体験できる自分」が取り戻すことができればその限りではないのだろう。
自分の人生をよく体験できる自分を、どのように取り戻すのか。
それは、まだ皆目検討がつかない。
激しく辛い道のりにも見えるが、案外簡単に行ける裏道があるかもしれない。
それを求めて生きていくことができればいいと思っている。