うつ病と自分 ⑧自殺未遂とその後

2018年12月末から休むことに専念することにした。

 

しかし、この休むということが自分には難しかった。

1日中、家にいるということもなかなか難しい。散歩をしたり物販の在庫がまだ家にけっこうあり、それを見るたびに副業もできない自分を責めてしまっていた。

物販については、これから続けるかやめるかを判断できずにいたので、処分できなかったのだ。

 

散歩したり、図書館に行ったりそんなことをして日々をなんとなく過ごしていた。

 

2月になり3月に入ってもその状況は変わらなかった。

 

一方で、通勤訓練ということで、図書館通いは1月から始めていた。

2月からは、職場近くの図書館まで通う訓練をしていた。

 

体力面では、通うことは難しくない。できることはできるし、疲れ果ててしまうということはない。ただ、ずっと心がすっきり晴れることはなかった。自分を責める気持ちだけではなく、なんとなく将来の不安がもやもやとしてある。

 

3月も中旬になり、そろそろ復職についてのスケジュールが差し迫っていた。自分の年次では半年しか休職できなく、その期限が4月下旬になっていたのだ。

 

そのころ復職に向けた行動記録表を書くようにカウンセラーから言われ、同じ日に医師に相談すると、はっきりと復職できるかどうかも言われない状況だった。

 

その日から、非常に精神状態が悪い状態が5日ほど続いた。

 

1日目は、よく晴れた日だったが、自分の家から一番近いホームセンターまでロープを買いに行った。自殺するには、ロープが一番手軽と言われているのを知っていたからだ。どうせ死ぬなら少しいいものをと寿司を食べるが、あまり味はしなかった。2日目と3日目は部屋のドアノブにロープをかけて、何度も首にかけたが死ねなかった。脳裏には、母親が悲しむ姿が思い浮かんだのと、どこかに冷静な自分がいて引きとどめた。いや、単にやっぱり怖かったのだ。

4日目は、「完全自殺マニュアル」という有名な自殺の本を買って読んで、死ぬ方法をいろいろ考えた。飛び降り自殺は一思いにできそうなので、自宅のマンションの一番高い階の非常階段を何度も見に行った。ただ、やはり死ぬことはできなかった。

5日目は、非常に悩んだが、医者に行くことにした。医者にそのとき何を期待していたのかはよくわからない。「死んでいいよ」と言ってもらえるのを多分望んでいた。もちろんそんなことを言われるわけもない。というか、「死にたい」ということも伝えることすらできなかった。体調不良について話すと、薬を増やしてもらった。その日は色んな人に電話しようとしたが、できなかった。母親と、同じく休職中の友人など、あと命の電話にも電話しかけた。

医者からの帰り、自殺の名所と言われる高島平団地に向かった。そこで死のうとは真剣に考えていなかったが、完全自殺マニュアルにその団地のある棟だけ柵がないため飛び降りはいまでも可能とのことだった。行ってみると、現在でも柵は無かったが、落下防止のフェンスだけは張り巡らされていた。

 

この5日間の苦しみ尋常ではなかった。「死ね」という切迫した命令が脳から出されるが、死ぬのは怖かったり逡巡した気持ちがある。脳の別の部分がブレーキをかける。その狭間で自分は翻弄され続けた。気を紛らわすためにユーチューブでゲームの実況動画をひたすら見た。こんなに苦しいのなら、いっそラクになりたいと遺書を書き、通帳をわかるなところにおいて首にロープをかけた。体重をかけてはみるが、全身の体重をかけるという思い切りは出なかった。自分が自殺のままごとをしているようで、馬鹿らしくもなった。

 

自殺しようとして、昏倒して失敗したのではなく、それ以前のところで踏みとどまってしまった。まあ、失敗していたら、措置入院になり復職どころではなくなるので、踏みとどまってよかったのだとは思う。もしくは、苦しみぬいて自分で救急車を呼ぶなどしていたと思う。飛び降りでは、複雑骨折となり半身不随状態になっていたかもしれない。

ただ、一方でそのまま死ねていたらきっとラクになれていただろうなという気持ちはまだある。

 

生き残ってしまった。これから長い人生をどうするかというのはまだ不安がある。絶望感に近いものがある。

ただ、なんとか目先のことに集中してこなしたり誤魔化していくことで、絶望感を忘れて生きていくしかないのだと思う。

生にしがみつくのではない。絶望から逃げるのである。そのための現実的な対処をいくつか始めた。

 

まず、自分は副業を完全に辞めることとして、法人も停止して融資も一括返済することとした。少なくない金銭もかけてきたので、もったいない気持ちは強くあるが、損切は早いほうがよいし、なにより中途半端な状態にしておくと自分を苛み続けるのが怖い。これが自殺未遂後に自分のとった、現実的な対処のひとつだ。

 

次に、コワーキングスペースを借りて、平日はそこに通ってリハビリのための作業をすることとした。このブログもそのリハビリの一つとして始めたものだ。

 

復職まで猶予が一ヶ月を切ったが、今はなんとかするしかないなという感じである。

もしかしたら、復職することによって日々にメリハリができることにより変化もあるかもしれない。そんなことも少しだけ期待している。

ただ、いま自分ができることに自信がない。そこは、実際に自分がやってきた事実を積み重ねることにより、人に提示できる状態にしておけばよいと思う。そのことはカウンセラーと話した。

 

今でも、朝起きると死にたいという気持ちは湧き出てくる。だけど、「なんとか生きる方法を考えよう」と声に出して気分を変えている。

生きる方法、それはいつどんなときでも、あるだろう。それを考え選択し続けることが、生の絶望から逃げるためだと信じていきたい。

 

また、死にたくてロープに首をかけることもあるかもしれない。そのときでも、まだ生きる道は残っているのだ。