うつ病と自分 ⑦2度目の休職

復職後3つ目のチームに転属となる。

 

これまでの部署と異なり、社内の品質管理のためのツールを開発・運用する部署だった。

 

そのツールは自分はユーザーサイドとして使ったことはあり、どういうものかもわかっていたので、その開発は悪くないかなと思っていた。また、そこでの上長は自分のことをわりと期待してくれているようで、最初はよく声をかけてくれていた。

 

ただ、そこでも開発スキルが高くないために、仕事に時間がかかる。最初だからそんなものとは言ってもらえていたが、上長が自分に声をかける頻度が減っていくことから、期待は下がっているのだなと感じるのが辛かった。

 

1ヶ月に1回程度、上長と面談もするのだが、「もう少し早くできると思っていた」「勤怠が悪い」と注意を受ける。「遅くとも11時には出社してほしい」とも言われる。

 

そのころの自分は素直に、がんばって朝出社するようにしていた。だが、9月に入ってからの体調は転がるように悪くなっていった。

 

会社へ行くのが嫌というのがまずあるので、朝になってほしくない。そのため夜更かしをする。夜更かしをするから朝がより辛い。その悪いサイクルにも入っていた。

 

仕事はそれでもなんとかこなしていたのだが、10月の末になり会社の産業医から再度休職することを薦められる。その日のうちに主治医から診断書を出してもらい、休職することとなった。7ヶ月半ほどの短い復職期間であった。

 

2度目の休職

再度休職することになってしまった。まずは3ヶ月の休職期間となっていた。

このころの自分は、まあそれも仕方ないかなと、ある種流されるままになっていた。度重なるチームの転属と、薄いコミュニケーション。そんなものに心は十分に疲れ切ってしまっていたようだ。

 

当初は、この休職の期間に、今度こそ副業を軌道に乗せて、会社は辞めてしまえばいい。実家に帰って住んでもいい。と考えていた。

そこで、休職から2週間ほど経って、実家に一時帰る。両親に実家に住むことを相談してみた。しかし、父親の返答が渋く、スペースがないから難しいと言われる。自分が実家を出てから4年ほど経っていたが、実家はモノが整理されず溢れかえり、過去の自分の自室もいまは姉が寝起きしている状態だ。

その父親の反応を見て、自分はまた復職して働くしかないなと思い直した。親には親の都合がある。迷惑をかけられないと感じた。

 

会社を休んでから2ヶ月ほどは、それでも副業に精を出していたと思う。

しかし、12月に入り、Amazonを使った物販が利益がほとんど取れないこともわかり断念せざるをえなかった。メルカリの運営側の対応の変化などから大きな利幅を出すのが難しくなっていた。

そういう体外的な理由もあるが、一個一個の商品の小さい利益を重ねていく物販の仕事にも飽きが出たのか身が入らなくなって切った。あまりやっていても楽しくない仕事をするのはメンタルに良くないと思い、12月末から副業の仕事も一切ストップした。

 

年末には実家に帰った。

このころには精神状態がだいぶ悪くなっていた。死にたいという思いを常にもつようになってしまっていた。

街を歩けば、街灯にロープをかけて首を吊るイメージや、高いビルから飛び降りるイメージが湧いてくる。

 

この死にたい気持ちは、何が原因なのかもよくわからないのが辛かった。

いや、原因は会社員としての仕事もうまく行かず、副業の方もうまくいかずという逃げ場のない状況が原因なのだろうが、両方休んで距離をとっているはずなのに苛まれ続けるのが辛かった。

 

実家で親といても、その自分を苛む気持ちが強く非常に辛い年末年始を送った。

年始には、一年前のように初詣で朝早く起きて祈祷を受けるような気力は全くなくて、札を返して、無病息災の絵馬を買うだけにとどめた。おみくじは、悪いのが出たらより落ち込むと思い、引かなかった。